ノ ア の 洪 水 伝 説:

       《その箱舟と大洪水の真相》
 
  世界中には幾多の洪水伝説が伝えられている。聖書の創世記での”ノアの箱舟 ”伝説もその
 うちの一つだといえるかも知れない。しかしこの伝説は非常に意味深いものとして、その内容が、
 詳細なものとなっている。果たしてこんな伝承が、有史以前から伝えられたものだろうかと、疑い
 たくもなるものだ。創世記第6章から9章の全体にかけて多様な意味深さを示している。
 しかも、この<ノア>データはイスラエル民族の遥かなるご先祖の物語として位置づけられるが、
 また、この伝説ファクトは、ノアの子、セム、ハム、ヤペテから出た子孫への言及をしている次章
 (10章)に続いているものとして、非常に重要な位置づけをなしている。そこでは彼らの子孫から
 の地球上におけるグローバルな規模での人類の広がりを伝えているが、大洪水の後、地球上で生存
 したのは、あたかもノアの子孫だけだったという意味合いをも込められている。 これには疑問の
 余地もあろうか、聖書的にもカインの末裔、その直系、傍系支派の諸々(=シュメール人系に至る
 氏族もその中にいたかも知れない)をも含め、ノア以前のセツをルーツとした他の諸々人種のうち
 で、何らかのかたちで助かり残った人もいたかも知れない。(創世記4、5章での系図文言参照)

  とにかく、ノアの大洪水は、その規模が超でかいものであったことを創世記の記事は伝えている。
 箱舟の大きさだけでも、メートル数で表わすと、約<全長:135m、幅:23m、総高さ:13.5プラス
 1m内外>ほどのもので、大海原の大洋向きの頑丈さに匹敵する以上のものだったと云える。

 (注:古代エジプトの長さ尺度では、全長:150m、幅25m、高さ15mプラス1m内外に相
 当するという。ヘブル尺の1キュビット45cmよりも、エジプト尺:52cmがノア時代に使用されたと
 すれば、大きさはこの規模となる。実のところ、この船の建造技術に関して、創世記の伝承記事で
 は、<300キュビット、50キュビット、30キュビット、1キュビット上に屋根を設け、内側は3階立てにして、それぞ
 れ仕切り部屋を設ける、これは船自体の梁構造とタイアップした補強を兼ねたもの、そのほか船体
 側面には相当大きな頑丈な戸口を、、内外すべてアスファルトで防水すべし等々>、坦々とした簡
 単、概容的な内容以外は、何も記し伝えてはいない。

 ノアの時代以前、どれほどの文明を築いていたのか、今もって予想も出来ないほど定かでないが、
 <超古代文明>という言葉が、かの<世界四大文明>と云われる時代以前のものとして、それらに
 対比して思考されている現今、まさにノアの箱舟の建造は、その当時の驚異的な技術力のある一つ
 の結晶となったと云う代物ではなかっただろうか。歴史上で知られる古代船の規模は、その運用の
 適宜性が考慮されたものとは言え、せいぜい大きくても、25~30m位以下のものでしかない。
 因みに15世紀末でのコロンブスが乗ったサンタ・マリア号でさえ、船体自体は18mほど、帆綱
 締留め用などを兼ねた舳先突梁を加えても25、6mであった。嵐の大波に洗われれば、まさに木
 の葉の如くであり、沈没も已む無しとなる。

 木造での150mないし135m<ヘブル尺度は出エジプト・モーセ時代以後、古来からの45cm
 とエジプト王尺の52cmがあり、両方用いるようになったとも。モーセはその伝承キュビット数で、
 そのどちらを思い浮かべたかは判らないが、ただ洪水後のハムおよびその子・クシュらと、古王国
 のエジプトとの関係、その歴史延長線上から見ると、エジプト尺の52cmでの“ものさし”を基準
 としたと推定するのが妥当かも知れない。>とにかく、木造150mの船の建造は、まさにただ事
 ではないものだ。時間を掛けての造船、数十年をかけて、たまたまノアの曽祖父の代からカインの
 末裔との交流があったと推定され、トバルカインの代から青銅や鉄の製作物に秀でた技術を継承し
 てきており、リベット金物の具材等の供給も間に合っていたと見られる。だが一体、どのように工
 法造作していったであろうか、初めに10分の1の縮尺で、30キュビットx5キュビットx3キュビットの模型
 の試作を試み、それに併行して手がけていったものであろうか、、ともかく内取り寸法で工作を進
 める他ないとも、、、内側から、底部の床張りと骨格の造作でもって、きっちりと構造寸法を決め
 定め、しっかり固定しながら順次進めていったものと思われる。

 余談ではあるが、エジプトの古王国時代、かのギザのクフ王のピラミッド、その建造技術は、今も
 って知られざる驚異とされている。クフ王は、ハムの子・クシュの曾孫系であり、クフの名は、ク
 シュの末を表わしている。力ある王となったクフは、ノアの大洪水ですっかり外装が傷んだ、その
 前時代のピラミッドをリニューアル新装して、自らの死後の墓廟としたものだったという説も想定
 されるほどである。そのギザの二つ、又は三つのピラミッド以外の幾つかの小さなピラミッドは、
 その後に建造されたものとするが、現在の考古学的見解では、それがあべこべに時代錯誤な考え方
 になっているのではないかとの批判も出てくる。何故ならば、クフ王朝関与時の二つ、三つのピラ
 ミッド以前の時代にも、先々代王や先代スネフェル王により、階段ピラミッド、屈折ピラミッド、
 赤い正ピラミッドなどが造られていたとの間違いなき考古学検証により、その建造技術の時代的向
 上発展という見方をとり得る事により、、、。)

 創世記は洪水について第7章11-12節で、<雨が40日40夜>止むことなく非常に強く降り
 注いだ、しかも、大規模な地殻の変動もあり、大小の湖沼の水もことごとく破れ出でたと書き記し
 ている。こんなことは今の地球上ではとうてい考えられない事、起り得ない事だと想定されよう。
 40日間も止むことなく雨が降るということは、今の地球気象学上での法則原因からして、決して
 おこり得ない現象である。当時人が住んでいた地上の範囲域に限定したとしても、、、。

 だからそういった観点から、誰もこれが本当だとは信じない。20世紀の初頭にトルコのアララテ
 山中でノアの箱舟の残骸が発見されたとの情報もあったらしい。が、何故かこれは、黙殺され、闇
 に葬られたと言われている。(古代人は実際にノアの箱舟がアララト山中にあったと見ているが、
  『ユダヤ古代誌』のヨセフスもバビロニア史の著者ベロッソスの言を引用したりして、彼の当世代
 までの幾多の歴史家たちがそれを認知していた事を記述している。)

  この創世記データを忠実に受け止めて考えてみよう。その際、何に着目すべきか、当然、どう
 して雨が40日40夜、降り続けに降ることができたか、という点であろう。 
 現在の地球大気圏からは、確かにまったく不可能である。だから、ノアの大洪水の前と後とでは、
 地球上大気圏は大きく変わったと推察できよう。現在の大気圏の層は、ノアの洪水後のものから連
 続している。しかし、洪水以前では、その大気圏の層が、3倍も4倍もあったのではと思われる。

 そのように仮定すると、太陽の放射エネルギーも今よりはるかに強いものであったと言わざるを得
 ない。太陽そのものの体積も大きかったかも知れない。その時の地球上の気候は、この上なく穏や
 かで、安定した暖かい気温を保ち、雨も少ないが、空気中の酸素の占める割合も30%以上と高く、
 湿潤な緑豊かな大地に恵まれた地球が、その大いなる大気圏に包まれていたであろう。また夜空の
 星も、現在よりはるかに地球に近かったであろう。我々の銀河系も現在少しずつ膨張しているかも
 しれないが、ほかの星雲、星々は、日夜、相対的に遠ざかっていると云われている。

  40日40夜降り続いた雨、それはその太陽に異変が起こったからであろう。その時太陽の放
 射エネルギーがまさに40日40夜雨を降らせる如くに反復減少した。太陽とその系列惑星との引
 力バランスが崩れ、地球の自転軸を大変な規模で狂わせる事ともなる。それと同時に地球が未曾有
 の地殻変動を起こし、大洪水とともに地球上は、まったく攪拌され、水が引いて大地が顔を出した
 時にはその地理的様相を一変してしまった。これがノアの時の”太陽系規模 ”での洪水の真相で
 はなかっただろうか。

  ノアの直系の子孫、セムからアブラハム、そして、彼からその後の12族のイスラエル民族、
 その民族的指導者モーセにいたるまで、そのノア伝承は、判を押したように確実に伝えられた。そ
 の伝承継承の責務を負わされなかった他の子孫のすべての諸族は、その責務から外されたがゆえに
 次第にその関心も薄れ、地上にかって大洪水があったという事だけが言い伝えられ、バビロニヤの
 洪水伝説のような、いわゆる現在の地球上でも起こり得るとした規模の大洪水の何がしかに、いつ
 しかすっかり、すり替わってしまったのではなかろうか。

  人類文化発生論的に大きな問題となることは、現代の人類発生に関する科学的知識が、地球上
 での<生命進化という知識の体系>のうちに位置づけられているということにある。これは、ノア
 の時の<地球規模の大洪水と地殻変動>によって、その後の地球上にもたらされた様々な結果が、
 後代の人、つまり近代以降の人間の認識知能をして、誤謬の知識を体系化させるほどにその学的研
 究への<自然対象物>となり得ているからである。
 ノア以前(大洪水以前)の、ノアの一直系(これは創世記5章で記された一系のみ)以外の全ての
 子孫や、カインのすべての諸々の子孫、これらの全人類の文化、文物的レベル、および精神的資質
 も、その高さ低さがあり、概して全体的な一様さなどあろうはずが無い。つまり、旧石器の文化程
 度、新石器のレベル、あるいは、カインの一系で見られるある特別に優れて進歩した場合の“青銅
 や鉄を造り出すレベル”(創世記4:20-22)などなどと、、、
 特にノアの時代へと至る以前では、一部を除き概して西方よりも、東あるいは東南の方向(太陽の
 出る方向)に、どんどん人類は増え広がっていったようだ。(今の地球地理上で言えば、中国大陸
 方面までも、、、)

 精神的には、<神の子たち>と記されている如く(創6章の2節4節)即ち、ノアに至る一系をも
 含め、創り主なる神を意識し、その似せられたる心の善に従って生活する人種から、肉食人種オン
 リーと化したような狩猟民たち等々、そんなあらぬ食生活の生存の様々な過程(その数千年にわた
 る過程)から、遺伝体型的に<野人、原人>のような、何かゴツゴツした骨太の旧人を思わせるよ
 うな人種も突出してくる。その当時の人体遺伝子の可能性が非常に優れ、且つ幅ひろい可能性を秘
 めていたから、特に食環境系にはその反応の度合いが非常に高いものであった。北京原人やジャワ
 ・アウストロ系原人等もそういった傾向からの出現と見られる。ノアの時代には、低級な肉食系の
 諸人種による<生き物の生態系の破壊の極まり>があり、また、高いレベルでは、神を信じないで
 自分たちの欲望満足のみを満たす生存社会(ハーレム的弱肉強食社会)をつくり、その社会には人
 の道が見られない、暴虐的な悪知恵ばかりが横行することに極まった、そんな様相を伝え記すもの
 ともなっている。

 現代の高度な知的レベルの<生命生物進化の知識体系>も無神論のそれであれば、これはまた、現
 代人への<知における大いなる躓きと妨げの罠、網>となるようなかたちで、ノアの大洪水事象に
 よるかっての地球上の結果事情が時を越えて現に在るかのようだと云わざるを得ない。