1.宇宙と創造:
神様による存在のしくみ:
諸々の宇宙、即ち何億、いく百何十億光年という彼方の四方八方に存在すると、天体観測等で知ら
れうる星雲のひとつひとつが、永遠の初めから神の創造によって創り出されたと、本当に信じること
が出来る者は、神と共にこの世界を継承するものとして、その幸いを得ることとなる。永遠の初めか
らの、その創造の御業は、その時間的世界の具現と過程にあって、いまや延々とその栄光を今に伝え
現わすものとなっている。そしてそれはまさに人が意識し、人の頭脳が考え出した時空間の尺度を超
越した、時空的世界を相対化した光速の何千倍ものエネルギー運動が展開された結果を垣間見るもの
である。広大な宇宙の創世、それはまさに人間の見地からは、時空を超えた時空のパラドックスであ
り、その結果的認識が、常に人間の目という一地点からの、その限られたスペース領域にあって、百
数十億光年という理性的数値をかもし出しているに過ぎない。
我らの位置する太陽系宇宙は、無数の銀河が点在する無限の宇宙空間の中にあってはほんの米粒ほ
どの極小宇宙の存在に過ぎないが、太陽を中心として宇宙物理的に存立形成をなしていると同時に、
即、地球を中心とした<生命中心志向型の宇宙体系>を演出形成している。
この地球を中心とした命の太陽系宇宙は決して偶然に出現でき得る筈がない。この命の体系宇宙は、
100パーセントの確率でその偶然出現は不可能である。 神による創造プラン、その活きた設計図
があってこそ、その出現が可能になるのだ。 それが正に神による存在そのもののしくみなのだ。
神の言葉、ロゴスがそのすべてを可能となしているのだ。そして、そのロゴスが、人の肉体となって
出現したこと、人の形姿をとって自らの世界のうちに存在化すること、それが見えざる神の側からの
神自らの存在の仕組みであり、本来的な在り方の方法である。 神による世界の存在とはそのような
存在の定理を秘めたものである。
創世記(聖書の開表の第一巻)の冒頭文言”初めに神、天と地を創り給える。”の時点までを、い
わゆるインド的(インド流?)に神話文学的に表現しうるとしたならば、つぎのように語ることが、
正しいでしょう。、、、
”「無限自在の創造的思惟能力精神(=ロゴス)の無限の自己意識をお持ちの意識主体であられる、
<見えざる霊体神>が、いかなる諸時間相も無い永遠のはじめに、その存在の初めからご自身の能力
と感性(創造することの本来的な喜びの感情)の発動によって、<大宇宙の発現とその展開>が始め
られた。
その創造の様は、あたかも両手を千手のごとく動かし、四方八方立体的にその全方位にありて、あの
リボン体操をするかのように振りかざし振り回して、両の手からいまだ見えざる正と負とに電化され
た元素などの物質粒子=原子の軌跡をご自分の考えどうりに創出描いてゆく、その放出された無限的
に膨大な物粒子群等は、その<原子存在自体間での法則>および物のある段階的存在過程上での物理、
理化学、熱力学法則にしたがって<力と運動=重力引力とその反作用的慣性力、遠心力等>のバラン
ス、アンバランスの熱核エネルギー的展開をなし、諸天体の形成およびその諸々の大星雲的な形成を
も内に外に反復展開するものとなった。」 ”
と、このように現代的神話表現を記すことができるでしょう。これが聖書の<初めの>初めなのです。
時間も空間も無い、いわば先天本来的にそれらの認知不可なる<初め>にあって、超ミクロの現象の
創造から超マクロな現象存在への創造が展開されているという事なのです。
この地球上の諸々の個体生物、あらゆる生命体ももちろん神による設計図(DNA設計)によるも
ので、環境条件によっては可能な限り多様な種の進化もなしうる存在として創造されたものである。
神の子、主キリスト・イエスのご在世から丸々2千年が経った。一口に2千年といっても、人にとっ
ては大変長き時間の経過である。 ノアの契約(旧約聖書におけるノアの箱舟時での神の約束)は、
主キリスト・イエスの救世の実現成就によって確定し、今に至るまで保持存続されている。この地球
自体には再創造されうる質料的資質が、ほかの如何なる天体よりも桁違いに豊かに備わっており、神
の御意志と御力によって今すぐにでも、何時でもそれを実行することが可能となっている。 地球内
部の灼熱のマントルマグマ、地表の3分の2を覆う厖大な水海の量、これらの質料的資質は、まさに
神が最終的には再創造を意図して備え有らしめた地球の資質だと云い得るものであろう。
救世主キリスト・イエスは、”この世に<命(いのち)>をお与えなさった。”この世とは、”人の
世を含めた、いわゆる古代的な世界観から云えば、”地上的な世界 ”のことで、今で云えば、地球
上世界のことである。この地球が、今に至るまで存続し得るのは、主イエス・キリストによる神との
新しい契約の実現成就が、この太陽系宇宙の地球に対して ”存続というかたちの命 ”となってい
るからである。人と人の世に対しては、その個人の救いと終わりの日の甦りと、その命の文化文明の
繁栄とが保障されており、それらを支え在らしめうる ”地球存続の命 ”そして 諸々の生物の存
続の命が、”この世に命を与える ”という主キリスト・イエスご自身の存在の真理として、この世
に呈示されているのだ。(新約聖書=ヨハネによる福音書第6章26節〜59節の文言から、特に
33節に言及して、世界の存在の意義を解く)